柴犬は幸せだったか

羽柴なつみ/Hashiba Natsumi

  • 2020年4月11日に白宮みみ、灰原あかね、桃乃ゆらりと共にデビューが発表、2020年4月25日にYouTubeにて初配信を行った。
  • 有閑喫茶あにまーれのストーカー。
  • 正式な店員ではないので衣装は自作らしい。デビュー時から実装されている衣装をよく見ると、デザインこそ他の店員のメンバーのものと似ているがステッチが目立つなど手作り感のあるものとなっている。
  • 配信内容はゲームから、雑談、企画など幅広く行っている。特に最近は、本人主催の企画もいくつかあり、「カッコいい単位選手権」「神決定戦」などを手掛けた。
  • ゲームは「Minecraft」を中心に、任天堂から耐久ゲーム、果てや鯉を観察するものまで様々なものを行っている。

    中略

    2021年1月29日、数日前から左耳が聞こえなくなる症状があり受診したところ、急性突発性難聴と診断される。療養に専念するため一時活動休止。
  • →2021年3月7日に復帰配信。
    • 残念ながら、左耳の聴力は戻っていない。
    • 引退しようか悩んだが、夢で杏戸ゆげに引き留められたため、活動再開を決めた。
    • 休止中に加入した新人(大浦るかこ、湖南みあ、月野木ちろる)については、配信は見ていないにもかかわらず、住所は把握していた。
    • 自身のバレンタインボイスが録音したにもかからわず発売されなかったため、「自分は辞めていいってことかな」と本気で思った。(コメント欄の黒猫ななし「だって...だって...」)
  • 聴力を失った関係で体調が不安定になっており、配信のスケジュール表はしばらく出さずに活動を継続している。また、酔いやすいゲームの配信は当面行わない予定。
  • 2021年6月27日より再び無期限休養入り。

本記事について

本記事は774.incの羽柴なつみの引退に寄せて書かせていただいています。こちらに書かれている内容は個人の感想なので、ご承知おきを。

はじめに

 人と人とが関わると、必ず別れが生じる。これは避けられないことだ。
人はいつか死ぬし、生き方の違いがあればそこで今生の別れになることもある。好きだったスポーツ選手が「選手生命に限界を感じた」と言って引退したことを私は覚えている。好きだった俳優が世間に言葉を残さず自殺したこともある。これには得も言われぬ喪失感が生まれ、ただ静かに項垂れることしかできない。Vtuberにも、『引退』がある。活動を辞め、別の人生を歩む。

 しかし、前述した現実世界での別れと、Vtuberの引退には、大きな違いがある。

 それは、『Vtuberの引退には、私たちにとっての未来がない』ということ。引退した方のその先は、ファンである我々は何も知り得ない。果てしない絶望とともに、受け入れるしかない。本人が決めたことだ。幸せな引退なのか、何かトラブルがあっての引退なのか、いつ決まったのか、何もわからない。知ることも許されない。
 仕方ない。何故なら私たちは『リスナー』だから。

 

 そしてまた、2021年8月15日、同じ苦しみを味わった。
 羽柴なつみが引退した。

 

発症~引退発表

 
羽柴は急性突発性難聴を発症し、それを発表した羽柴は、個人的にはひどく不安定に見えた。要領を得なかったり不穏なツイートなど、言ってしまえば、見てて心配になった。ひどい言い方だけど、そう見えた。

 2021年3月7日に復帰配信が行われたが、それからもあまりよくない状況が続いた。イベントの出演がキャンセルになったり、目を負傷したり、思うように活動できなかったり、ファンとしてもつらい状況が続いた。ツイートはさらに不安にさせた。不安になってしまった。本来はありがたいはずなのに。生きていることが確認できて、喜ぶべきなのにだ。

 そして8月12日、引退が発表された。引退発表後の羽柴は、どこか清々しいように見えた。暖かい仲間に囲まれ、15日にソロで引退配信を行った。

 

羽柴へ
 
 羽柴の歌が好きだった。視聴者に歌唱力を超えた何かを届けられる羽柴が好きだった。
 別にピッチが合ってるとか、拍が正確に取れてるとか、ビブラートが上手いとかじゃなくて、えげつないくらい醜い感情を、焦りとか全部、自分を追い込んで追い込んで追い込んで追い込んで、自分の気持ちを乗せられる羽柴の歌が好きだった。
 そういう風に自分のモノにできる表現者が大好きだった。
 俺は歌が下手だから。憧れた。でもそういうのってめちゃくちゃ魂とか精神とか命とか削る行為で、生半可な気持ちで出来なくて、だから居なくなる。弱さとかじゃなくて、これは今まで生きてきた経験だし無責任だけど、絶対にいなくなる。きっとこれからもそう。
 これは果てしなく傲慢だけど、悔しさからふざけんなと思う。羽柴の歌にこんなに心をめちゃくちゃにされて、感動して憧れて尊敬できて 勝手に居なくなられた。お前生き続けるんだろ、お前じゃなきゃダメなんだろって言ったじゃんって思って、この数日間めちゃくちゃ悩んで泣き疲れて、結局今日までわかんなかった。

 『取り柄のないクズだって生きてていいだろが』を収録したとき、お前どんな気持ちだったんだ。どんな精神状態でその曲を選んだんだ。
 Vtuberという所謂『設定』、『ガワ』の表現(気を悪くしたら申し訳ないです。表現上これしか見つかりませんでした。)を超越した、『魂の叫び』を歌声から感じた。狂気さえ感じた。
 そうまでして、俺たちに伝えたいことはなんだ。
 考えた。
 わからなかった。

 しかし、引退配信後、『生きるってなんだよ』が公開された。泣きながら聴いた。理解しようと、一生懸命聴いた。
 自分なりの答えを出すために。

 『生きていて良いだろうが』と叫んだ羽柴が、『生きるってなんだよ』って言ったんだ これは叫びじゃなくて問いなんだ。こちら側に対する問いだ。と思った。自分は生きていたか、と血の涙を流しながらこちらに問うていた。
 生きていた。羽柴はしっかり生きていた。
 配信してなくても、ツイートしなくても、イベントに出れなくても、スケジュールにお前の名前が無くても、耳が聞こえなくても、生きていた。
 お前を好きな人たちが忘れてなかったから、羽柴はちゃんと生きた。
 羽柴なつみは羽柴なつみとして生きた。
 これが俺の答えです。合ってるわけないし合ってなくてもいい。ただのオタクの気持ち悪い考察だから。

 ただひたすら羽柴のことが好きで憧れて尊敬できて好きだった。今までありがとう。好きだった。

(自分のTwitterより引用、改変)


おわりに

 主観的に見ても容量の得ない文章になってしまった。とりあえず何か書かないといけないと思って、衝動で書いてしまった。これを書いているとき、酒がバキバキに入っているし、普通に気分で消すと思う。

 引退配信後、同じメンバーの柚原いづみは「もっと話せばよかった」と言った。日ノ隈らんは「正しく送り出せたけれど、ひたすらに悲しい」と言った。黒猫ななしは「羽柴なつみは幸せでした。」と言った。白宮みみは「この日が来るのが怖かった」と言った。事前に引退を告げられた彼女らは、また私たちと違った苦しみを感じたことだろう。

 発表を受けて、「もっと配信を見に行けばよかった」、「もっと初めのころから見ておけば」、などと後悔したリスナーも多いかもしれない。
 しかし、『推しは推せるうちに推せ』という定型文があるが、こんなものは第三者の無責任なセリフだ。と、私は思う。(その言葉自体が悪いわけじゃないので、悪しからず)できる限り、あなたは推しを愛したし、推しもあなたの愛を受け取った。
 誇っていいと、私は思う。

 羽柴なつみは「またな」と言った。なら私たちは、しばし待つのみ。